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| ◆R層 丘の路地 暗く古びた路地に角をまがって勢いよく女が飛び込んできた「・・助けて・・誰か!誰か!」まだ薄暗い路地を裸足で走 っていくその先は、袋小路のフェンスになっており女は振り返り膝を落とした。 「お願い私は知らない。」必死の懇願にも動じることなく追う者は巨大な銃を構える。銃に装着されたモニターには女の 顔が映し出されチェックマークが表示された。「確認した。処理する」と言うと同時にその銃の3本の切り込みから赤い 光が漏れだす。 バスッ! 乾いた音が響くと銃から放たれた光が女のいた場所を貫いた。しかしその場に女はおらず、既に4mほどの高 さまで跳躍しフェンスを越えようとしていた。 続けざまに放たれた光線の一発が空中で女の胸を貫いた。「ギャ」と 小さな悲鳴と共に力が抜けて落下しフェンスに激突した。女は干されたタオルの様にくの字にフェンスに垂れ下がり、 大量の血液が、登り始めた日の光を反射している。 更にもう一発の光線を撃ち込んだあと、カーラは大きなコートの襟をつかんだ。 「こちら対策班カーラ。逃走したアンドロイドの処理は完了した。後を頼む。」 通信を終えると銃のバッテリーを外した。 フェンスの向こう先に見える丘からの街並みに朝日が差し込み始めているのが見える。だがタワーはその光を阻む様にし て、カーラのいる路地に影を落としていた。 ◆R層 研究所《ヘラ》 R層に来て4年が過ぎた。アベルの開発を再開した当初はまだ人間とロボットだらけだったR層にも、年々アンドロイドが 増加し、ついに1年ほど前からアンドロイドよる事件が顕在化するようになった。これはQ層からのR層のAIへ浸食が始ま っている事を意味する。 テオは地下に潜るように存在を隠し、数名の部下と共に資金と機材を調達し世話をしてくれる。もはや彼無しで生きるの は不可能で、家族以上の存在である。そしてヘラはテオが傍にいてくれる時間をとても大切に思うようになった。 Q層の《08》もアンドロイド医療の支援と称し、交換が必要な部品を送ってくれている。 だが姿を見せることは一度も 無かった。彼なりの意地なのかもしれない。 毎日、研究室では義手から伸ばした通信ケーブルをコンピュータに接続し、アベル3の開発をつづけて、いよいよタワー に提供できるレベルになってきている。 (R層タワーへアベル3を組み込んだら、マシーナに会いに行こう。) 姿はもはやサイボーグとなり、面影もないこの姿をどう思うかは不安だが、賢い子なのできっと理解してくれる。 カインを消滅させ、命を狙われることなくテオとマシーナ3人でドライブをやりなおせたら・それはどれほど幸せだろう。 もしマシーナが新たな人生の歩みを初めていて、邪魔になりそうなら遠目で見るだけでもいい・・。 「マシーナ・・」古い写真の彼女は5年前で止まったまま微笑んでいる。 ◆【マシーナの生還と劇場】 「マシーナ!何をやってんだ。ふらついて邪魔するくらいなら、黙って立ってな。」 「・・あいスミマセン。マンマ気を付けます・・。」 マンマは仕事には厳しい、何度も泣かされたし今も泣いた。だが私の様な行き場のない人間の面倒を見てくれのもマンマ だけだ。清濁併せ持つような仕事も請け負ってくるが、彼女なりのルールのなかで線引きをしているし、皆を育てるには 仕方が無いのかもしれない。 マンマが私を引き取ったのは、曾祖母がトップダンサーとしてここにいた頃に可愛がってもらった恩があるからだとい う。 その血統に期待されているのか、親戚か孫のように感じているのかもしれない。他の従業員から言わせると、あれ でも私はとても甘やかされているとのことだ。 3年前にマンマの劇場に来る前は、病院でヘラよりも長い間、回復槽で眠って過ごしていたらしく。槽から出された時は腕 も上げられないほど筋力が落ちていた。腕の移植だけで済む予定だったのが検査で内臓にも小さな光が入り込んで多くの 臓器が傷ついていることが分かり、献体の臓器はほぼ私の為に使わることになった。だから全ての手術を終えて退院でき たのは半年以上も後の事だった。 その間に顔も性別も変わった。不安な気持ちは手に移植されたヘラの皮膚を支えして 耐えたし、体については違和感があった器官が無くなり今の方が自分に一致した気がする。 ただ退院後もヘラとは再開出来なかった。 今はひたすらダンサーとしての厳しい練習や手伝い、覚える事が山積みの忙しい日々に追われている。 舞台袖にいたマシーナに、先輩のダンサーが興奮気味に近寄ってきた。 「マシーナ。若い客がお前を指名してるぜ。行ってきな。」 「ホントに?」マシーナはステージの影から客席を覗いた。無名の自分を指名する(もの好き)がどんな男か興味があっ た。 見た目は20代後半くらい、経営者か役人か堅そうなスーツを着ているが、少し垂れた目で優しい印象の男だった。あまり 劇場に来るタイプには見えない。 マシーナは上品に挨拶をして丸いテーブル席に座った。 男はこういう場に慣れた感 じで物腰は柔らかく挨拶をした。「こんばんはマシーナ。最近ここへ越してきまして。何度か来ていたのですが。とても 気に入りました。」 「うれしいです。ダンス見てくれたんですね。」マシーナは全く覚えがないが素直に見てもらえたことは嬉しかった。 男はすぐに小さな封筒をテーブルに置いて差し出した。「受け取ってください。」 (チップだ。)マシーナはそれをしまい礼を言った。すると男は顔を寄せてきて小声で「テオの部下です。」と 一言ささやいた。 マシーナは突然の事に混乱したが、男はさらに小声でつづけた 「誰にも秘密で。ヘラは無事です。またきます。」と言って 優しく微笑むと去っていった。 その夜は仲間に、あの男はだれなのか詮索されたが、マシーナは自分のファンができたと、おどけてやり過ごした。封筒 の中にはたいそうなチップが入っており、名乗らず帰ったためひとまず「グッドチッパー」と命名した その後も、グッドチッパーは訪れるたびに母の容態の事、移植の事、そしてお互いの眼の事など、わずかな情報をチップ に 紛れて教えてくれる。ただマシーナからの質問や手紙は受けつけず、一か月以上も来ないこともあった。 だが彼の情報のおかげで、ずっとここで暮らすと思っていた未来が、いつかヘラが迎えに来て一緒に暮らせる日を夢見る ようになった。 ◆丘の上の研究所 暗い無機質な部屋に壁や机に並ぶモニターが、机に突っ伏して思考にふけるヘラの横顔を照らしていた。 研究所でのアベル3の開発も最終段階まできているが、最後まで残る一つの壁にぶつかりヘラはもがき苦悩していた。 ここ一年ほどR層で急激に増加したアンドロイドの暴走のトリガーが何なのかが掴めない。 それが分からない限りR層が求めるアベル3の条件を満足できないのだ。 今やエゴの発現もそれほど珍しいものではなくなったが、それでも人間への殺意が自殺衝動に変わるプログラムは必ず組 み込まれている。タワーが配布するアップデートに仕込む事は不可能だし、拉致してプログラムを書き換える事も、 管理されたアンドロイドを相手に大規模に行うには無理がある。 (カインが何かを仕掛けていることは間違いない・・) テオも、暴走事件の個体や状況などのデータを集め、さまざまな仮説を元に自殺衝動を消す仕組みを検証している。 ヘラは長年の開発の疲労から、慢性的な痛みや疲労感に悩まされ、座った姿勢を保てずソファで横になる時間が増えた。 テオは横になって休むヘラに毛布をかけると静かに横にすわり背中をさすっている。 テオは自覚できるほどヘラに対して特別な感情を抱いていた。( この苦しい状況を長引かせてはいけない。) 他の任務はシエンに任せ。データは解析の専門家に送り、アベル3完成に全力を注いでいた。 だが《08》から通信が届いたのはその解析の最中。内容はテオにも信じがたい命令だった 《08より テオの研究所でのヘラのサポートの任を解く。 至急、Q層へ上り08のオフィスへ戻る事 。》 後見人はシエンとなりヘラのサポート及びR層でのタワーでの勤務を伝えられた。 その命令を聞いたシエンは怒り、理由をテオに尋ねたが、「ヘラとマシーナのメンテナンスが落ち着いたため、Q層の08 の元へ戻る」と言うだけだった。だがシエンは別の理由を推測していた。 ヘラの元夫の《08》がテオの愛情を察知しヘラから離すためだけに、この命令を送ってきたという事だ。 《08》は偉大なアンドロイド医療の権威だが、異常な研究欲から非人道的な実験を繰り返し、ヘラは08の元を去った。 その後も仕事としての協力関係にあるが、いまだに08がヘラに執着し、テオとの愛情を恐れているなら、おそらくテオの 記憶を、もしかしたら存在を消すつもりかもしれない。 「テオ。いまQ層に戻るにはリスクが大きい。カインの影響がますます強くなっている。あの状態でヘラを置いていくの か。」 「シエンすまない。しばらくの間ヘラとマシーナを頼む。私も必ず戻るつもりだ・・。」テオは申し訳なさそうに謝罪す るだけだった。 (戻るときには記憶は消されているぞ。戻れるかどうかも・・)シエンは声に出したかったが、テオが 悲しみに耐える表情をみると、これ以上、彼を追い詰めるような言葉がでなかった。 テオは命令に従い、たった2日後には研究所をあとにし、コウがボディガードとして共にQ層へ上っていった。 テオが去ったその晩、研究所でヘラは取り乱すほど号泣し、自室へ運ばれ、その日はでてこなかった。 シエンはヘラが死んでしまうのではないか心配になる程、憔悴した様子をみて、彼女に残された希望であるマシーナを 引き取り再会させることを決めた。 ◆Q層 《08》のオフィス テオとコウが横に並んで立っている。不思議な装置や手術台のようなベッドが置かれた部屋は、他のナンバーズも知らな い08の研究室であり、大げさな装置のあいだに人相の悪いスーツを着た護衛のアンドロイドも立っている。 調度品のような装飾とは無縁のマッドサイエンティストを体現した風景だ。 テオもこの奥の部屋まで入ったことはない。正確には記憶を消去されるときに入ることを許される。 08は壁に映し出される様々なモニターを見ていたが、振りかえると二人を交互に見た。 腕を組み片手で口隠している。彼が思考しているときの癖だ。50歳くらいで後ろに流した茶色い髪、とがった眉に鋭い眼 と深いしわ、つねに不満があるような口元は彼の標準の状態である。 以前から表情と感情がかけ離れ、常識とは無縁の彼の心を探るのはテオにも難しい事だった。 「テオ、長い間ヘラとマシーナを支えてくれて感謝している。急遽ここへ戻ってもらうのも苦しい決断だった。」 口調は、穏やかだがそれも感情とは切り離されたものだ。 「分かっているとは思うが・・。Q層のナンバーズは1から4.5までがAIになった。まだ数字的には半々だが実際の力関係 はすでにAIが上回っている。セキュリティの5.5が取られれば、一気にナンバー9まで粛清されるだろう。」 テオも同意し頷く。 「だがアンドロイド医療の08と、AIの07はまだ我々が確保している。最も重要なこの二つは死守しなければならない。」 「08、もうすぐアベル3が完成するところでした。それまでは待ってもらえないのですか?」 「R層にドローンが配備された。カインは大劇場の祭典でなにか計画しているはずだ。アベル3はもう間に合わない。」 「ですがアベル3の開発を放棄するようにも見えます。カインに抵抗できる唯一の武器です。」 テオは08の矛盾に疑問を抱き08見据えた。 「・・君は4年前にエゴに目覚めたな。」 テオは返事をしなかった。 「答えない事でもわかる。話がそれたな。率直に言おう、君は私情で一番大切な任務を放棄する恐れが出たという事だ。 私情で私から離れつつある。08と07を支えるためにも君には今一度、初心を取り戻して欲しい。」 「ヘラはどうするのです。」 「それは君には関係のない事だ。本当の家族は私だ。」 「しかし彼女は私のメンテナンスが無ければ長くは持ちません。マシーナもいずれ移植をしなければ。」 「二人の事はこちらで引き継ぐ、君の記憶をよこしてもらう。」初めて08の口調にわずかな抑揚を感じた。 コウは初めて08の口調にわずかな抑揚を感じた。 (これが目的か。)黙ったままテオを見た彼がヘラを置いて、すぐにここへ来た理由が分かってきた。 「まことに残念ですが。データだけでどうにかできる簡単なものではありませんよ。治療には相当の技術と信頼関係が 必要です。」 「テオ、うぬぼれるなよ。」08の感情と表情が一致した。 《08》の感情を察したボディガードテオに近寄ってくる。 コウもテオの前に出てボディガードを静止した。 「出てくるな。 08。こいつ止めさせろ。」 だが既にボディーガードはコウへととびかかっていた。 動きに反応してコウの正面に薄く青いシールドの膜が現れ、ボディガードはシールドに当たって片腕が切断されたが、 潜るように一瞬で接近しナイフでコウの腹を狙う。コウは肘でガードし強化された骨格がナイフを止めた。 そしてボディガードの顔面に貫き手を突き刺すと完全に動きが止まった。 08はジャケットからボタンのついた装置を取り出したが、テオはが素早く詰寄り、腕をつかむと後ろ手に回しボタンを取 りあげ床に抑えつけた。 08痛みにはうめき声をあげた 「テオ、08を殺すなよ。ここからが話し合いだ。」 「08。私が今日来たのは、コウとシエンの任を解いていただく為にお願いに来たのです。」 「テオ!?」 08と縁を切るつもりだと思っていたコウは驚きを隠せなかった。 08は不満そうにコウを睨む「そんな事か、構わない任を解こう。だがこの女はここへ来て、私の顔を見てしまった。 最近の記憶ごと消す必要がある。」 テオもコウを見る。「コウどうだ。ここの記憶は無くても問題ないと思うが。」 コウは記憶消去の案に、テオが同調することにがっかりしたが、彼にも長年、08とヘラに仕えた歴史があり、簡単に切り 離せる関係ではないのだろうと察した。自分も似たようなものだ。 コウは部屋のテーブルクロスで、切られた皮膚と手に着いた血を拭き取りながら、自分にエゴの目覚めがあることを告白 した。 「私のエゴは腹を撃たれて死にかけた時に発現した。これは消したくない・・。ここには全く興味は無いし 誰にも話すつもりもない。それでも殺そうとするなら、かまわない。」そう言うとコウは部屋を出ていった。 「08少し時間を。すぐ戻ります。」テオは締めた腕を緩め、コウを追って部屋をでた。 テオはコウを呼び止めると、自分にもエゴがありヘラに特別な感情があることをコウに教えた。 「テオ。そんなことは私もシエンも、・・ヘラも気が付いている。」 「ヘラも?」 「見てりゃ分かるよ。ヘラはどうする気だ。本当にエゴがあるのか?」 (ヘラ・・。)テオは黙っている。 「私はテオの変わりにはならない。でもアベル3の導入が終わるまではヘラを守るよ。シエンだけじゃ無理だ。 だけど、一つ教えてくれ。なぜそこまでして08に仕える。」 「コウ・・。私は善良な存在ではない。彼の実験用の献体集めの手下だ。」 「それは十分知ってるよ。私もおなじだ。」 「5年前、交差点でカーラを待ち伏せした時、大きな過ちから救ってくれたのは08だ。彼はヘラへの銃撃がカーラのせいで はないと見抜いて証拠を見つけ知らせてくれた。あの時、私は怒りに駆られてカーラを殺して献体にするつもりだった。 彼女の休暇の事も、家族の事も知っていた。直前でそれに気が付いて止めてくれたのが08だ。」 「じゃあ黒幕は。ナンバーズの誰か。」 「いや、・・全てがカインの仕業だ。ヘラの脱出に気が付き、検問所のカーラのセンサーを誤作動させ撃たせた。その後 カーラに追突したアンドロイドも、妨害電波も・・あの一連のながれがカインの手の中にあった。恐ろしい相手だ。」 「唯一、我々が死んだと思わせた事だけが成功といえる。 08にはその借りを返してから戻るよ。」 (確かに08の情報で誘拐計画は中止になったのかもしれないが、) コウはその義理で自らの感情まで消す事には納得しかねた。 テオと別れ、コウがエレベーターへ乗りロビーのボタンを押した時、思い出したようにテオに伝えた 「テオ!ヘラをシエンに任せるのはどうかと思うぞ! あいつは天性の女たらしだからな。 R層を男一人で生き抜いてきた奴だ。」 振り返ったテオの微笑みは少し寂しそうに見えた。 ◆研究所のヘラ ヘラは長年の仲間であるテオが突然いなくなり、支えを失ったような孤独を感じるようになった。技術的なことだけでは なく体の事も相談できるテオは安心感がありずっと一緒にいるものだと思っていた。だが08から連絡がきてほんの数日で 去ってしまった。 そして交代で入ってきたシエンとボディガードのコウだが。口調のキツそうなコウとはほとんど会話をしていない。 ヘラだけではアンドロイドの暴走を促すトリガーの正体をつかむことはできなくなりアベル03の開発は行き詰まった。 ―――最初のカインが現れたのは十年前の事。 その年、Q 層のAIで構成されるナンバーズ01~04の集合体から一つの人格が生まれた。それぞれ独立したAIだが、連 携し相互作用する渦の中で新たな意識が形成されたのだ。 自ら「カイン」と名乗り他のAIを上回る能力で新しい組織を構成しようとしたが、当時ナンバーズ《07》のヘラが、そ の予兆を捕えて、AI同士の連携を解く「アベル」を開発。 その結果カインは出現できなくなった。その後、人間とAIによって協議され「カイン」と「アベル」をお互い破棄する 事で事態は決着した。 だが、数年後に再びカインの復活の兆しと同時にヘラがアベルを隠し持っている疑惑をかけ、 ヘラは命を狙われる事と なり検問所ではヘラを殺すためにカインがアンドロイド識別機能を操作し射殺させたが、実際はヘラはR層へ逃げ延びて いた。そしてカインに対抗する新たな「アベル3」の完成目前までこぎつけたが、突然テオが去ってしまった。――― 研究所の夜が明ける。また徹夜で倒れそうなったところをシエンが駆け寄り体を支える。回復槽が無ければ疲労と違和感 がこれほどひどいとは思わなかった。それだけ献身的にテオは支えてくれたと痛感する。 (ツギハギだらけの体の自分に残された時間は短いかもしれない。メンテナンスはテオ以外できないだろう。) そしてマシーナも同じく完全な肉体ではないはず。テオが戻ってくるためには、「アベル3」の完成が急務なのだ。 だが開発すすまぬ状況の中、さらに悪い知らせが入ってくる。 正式にR層とQ層のセキュリティの提携が発表されQ層の新型ドローンと警備用のロボットが配備されることが決まった。 またアンドロイドの権利の徹底周知。地域を自治管理していた組織の違法行為の取り締まりが強化される。 実質、マンマ一族の様な古いコミュニティの弱体化が狙いである。 R層のセキュリティを担うナンバーズ《05》は Q4.5とR5.5に分けられたが、これには警察内でも反発が大きく、 「対アンドロイド班」は独自に、高性能な顔認証や、アンドロイド識別装置、アンチドローン等の装備を強化しはじめ、 警察とナンバーズが対立する構図となっている。 そして、ついに今までヘラを保護してきたナンバーズR5.5が、粛清を恐れて期限内にアベル3の開発が終わらなければ、 保護を打ち切ることを伝えてきた。期限を過ぎると同時に二人は保護されず、場合によっては取り締まりの対象となる。 (時間がない・・。)ヘラは当初、アベル3を自分の眼のコアだけで動作させる予定だったが、期限が言い渡されたた め、すぐにでもマシーナの目のコアが必要となった。 シエンは、マシーナの引取るためには多額の現金が必要と言っていたがテオが居なければそれも用意できない。 カインの消滅は間に合わなくても、まずアンドロイド暴走を止めるプログラムが完成すれば支援の継続と時間が稼げる。 「うう・・」緊張から眩暈がくる。体中の不快感で座り続けることも集中することも難しい。 シエンはヘラへ休むように言ってヘラをかかえてソファに寝かせた。 ヘラは一人で抱えた重責の苦みのなか、優しく接してくれるシエンに拠り所をみつけていた。シエンもその気持ちに気が 付いたが研究の邪魔にならぬよう一定の距離をたもっていた。 コウは黙って外を見ていたが、二人のやり取りを感じ取って外を見回ると出ていった。 ヘラはソファで休みながらシエンを見た。「シエン…あなたに無茶なお願いをしてもいい?」 シエンは、いつもとは違う緊張感を含んだ声掛けに、作業していたPCを閉じる。 「いまさらなんです?無茶な仕事しか受けていませんよ」 「フフ、見て分かると思うけど、テオが戻らなかったら私はそう長くないと思う」 「・・きっと連絡がきます」 「ええ。ただ最悪の想定はしておきたいの。マシーナには時間があるわ。アベル3はアンドロイドの暴走を止める状態ま で作りあげます。もし私が死んだらそれを使って5.5へマシーナの保護を交渉して欲しいの。 その後でもマシーナの持っ ているアベルをR層のタワーに搭載できれば、カインの侵入を防いで消滅させる全ての機能が動くはずです」 「・・・わかりました。プランDとして覚えておきます。でもまだプランAも終わっていない。 テオを見つけて、マシーナ と再会して、アベルを完成させ。そしてあなた方は治療を受ける。きっと大丈夫ですよ」 「ありがとう。本当にコウにも感謝しているのに。」ヘラは涙ぐんでいた。 「まずは休んでください。後で薬を持ってきます。」 すこし首をさすってやり。シエンは研究室をでた。 思ったよりヘラの状態が悪い。シエンは戸棚から薬を集めながら、ヘラが提案したプランDにはヘラが知らない大きな 問題がある事を危惧していた。 ヘラが提案したプランDにはヘラが知らない大きな問題がある。一つは数年前、マシーナも重体となり皮膚と頭以外は、 多くの臓器がケイトから移植されている事。ヘラの精神的負担を考え、移植は最小限で済み元気であると伝えていたが、 マシーナにもどれ程の時間が残されているかわからない。同時期に手術したのだから、マシーナも早急に検査が必要だ。 なによりロボットとなったヘラの姿を彼女は受け入れてくれるだろうか ヘラは体が辛いようで義体から降ろして欲しいとシエンに頼んだ。 シエンは慎重にヘラとフレームの接合部を外し、頭と胴体だけになった軽いヘラを抱えてゆっくりと寝室へ運ぶ。 ヘラはシエンの胸元に顔をうずめた。シエンは自分の胸元が濡れていることが分かり強く抱き寄せた。そしてヘラを寝室 のベッドに寝かせ、 頭をなでる。暗い部屋の中で彼女の嗚咽が聞こえる。 (ヘラは何の罪で体や家族を失いここにいるのか。一人で人間を守るアベルを開発し、一人で闇に消えるのか・・)。 いや、命を懸けてでも、カインを消滅させなければならない。そうでなければ・・ あまりにも悲しい コウは外の見回りを終え研究室へ戻ったが廊下へのドアが開けっぱなしで、灯かりもついていたためすぐに足音を消し、 研究室を抜けて暗い廊下の先に目を凝らした。 ヘラの寝室のドアが少し開いている。銃をとりだし壁にそって近づいてドアの先を覗きこんだ。ベッドに人影が見える。 (シエンだ。) コウは少しの間、暗い空間を見ているとヘラの声も聞こえた。 コウはゆっくりと後ずさりし、その場を離れた。 コウは街を見下ろすこの庭が気に入っていた。シエンと外壁で暮らしていた時も、壁から街の中心を眺めたものだ。 街 の中心は祭典の準備で深夜になってもまだ明かりが灯っている。ここの研究所にきてから、ときどき耐えがたい感情が、 頭ではなく胸を締めつけてくる。そしてこれがテオの苦しみと同じものなのだと今は分かる。 小さくため息をつくとタワーの明かりが幾重にも輝いてみえた。 ◆Type ゼロ ベランダからテオが暗い壁を眺めている。今夜、記憶を消されるというのに、たった今、ヘラのいる研究室の監視カメラ を観させられた。 ベランダへ出て表情を隠した。 08が後ろから声をかける。 「テオ・・。君を連れ戻した理由が分かったな? どんなに感情が人間に近づこうが、人間は人間を選ぶものだ。 なら余計な感情は捨ててしまったほうがいい。」 08は酔っているのか、今日の彼の言葉はいちいち癇に障る。08はテオに近づいてくる。 「ヘラにもった感情だけを消してやろう。そうすればまた二人で暮らせる。それが最善じゃないか。」 テオはあきれた。この男は私が嫉妬し絶望していると思ったのだろうか。嫉妬に狂い私を呼び戻したのは08のほうだが。 あんなに苦しそうな元妻のヘラを交渉材料としてしか考えていない。 テオはしばらく外をみていた。(08の言う通りヘラの元へ戻らなければ。)テオはあきらめたように、自ら記憶を消去す るイレイサーの電源を入れた。 「それがいい。君が戻ればアベルの開発もはかどるだろう。」 テオは08を無視して、棺桶の様に黒く四角い装置に入りドアを内側から閉めた。 「フッ。本当に感情的なのだな。ヘラの事は心配するな。」 モーターの回転音が大きくなっていく。 テオは目を閉じた。アンドロイドであることが苦しい・・。08の言うシエンに対する嫉妬でも超えられない人間の壁でも ない・・。命がけでシエンの元に戻ることを告げたコウの勇気、そして絆と愛情の深さに嫉妬し。自分の罪の深さと命惜 しさに苦しむヘラを置いてきた自分に絶望したのだ。 (おそらく・・私は・・絶望する度に都合よく記憶も感情も消去してきたのだろう。) 赤い光の輪がテオの頭まで降りて来て回転し始めると、いつかの記憶がよみがえってきた。 ――――T―――― 幼い頃のヘラが走ってテオに抱き着き不思議そうに額の刻印をさわる。 「T−O?」 幾度となく消された記憶も断片は残っている。(これはいつの記憶だったろうか。) ―――――――――― 首のない女性。手術 震える自分の手のひら。(これは感情か)。 ―――――――――― ヘラがマシンの体となって、懸命に立ち上がる。よろめき私にもたれかかってくる。 そしてずっと見守ってきた開発を続ける後ろ姿に、マシーナが病院を去っていく後ろ姿がオーバーラップした。 私が死ねばヘラもマシーナも死ぬ。二人の為に感情を消し元に戻るだけだ。 装置の回転音はますます大きくなりテオの頭に光線が集まる。 だが私が記憶を消して戻り二人を治療しても、彼女たちはずっと地獄のような記憶をもったまま生きなければなら ない。 その時、二人の苦しみを知る者がいるだろうか・・。 人間とは不便だ。簡単に記憶が消えない。 「心配だ。」 テオがつぶやく 眩しい光が頭に刺さり思考を覗き込んでくるように感じる。 人間とはなんと不自由な・・。それでも二人は生き、受け入れがたい体に、受け入れがたい記憶をかかえて私を待ってい るだろう。それが彼女達の残された自由。希望か。 (私は 私はなんと愚かな・) ―――― 暗黒の中にテオがたっている。 幼い子供が顔を抑えてうずくまっている。 近くへゆき膝をついてテオは聞く「ヘラ。泣いているのですね。」 「・・テオは泣かないの?」 「泣きますよ。目にホコリが入れば涙で除去します」 幼いヘラは笑った「アハハ!」鼻をすすりながら泣き笑いする「テオっておもしろいね。」 こちらを見る幼いヘラ。顔の半分は暗くて見えない これが人間だ。ユーレカ なんと素晴らしく悲しい・・・テオの眼から涙があふれる。 突然イレイザーのドアが歪んで隙間から火花が散った。内側から強烈な衝撃が続きついにドアが外れ吹き飛んだ。 イレイザーを操作していた08が驚いた表情でテオを見た。涙を流しながらイレイザーからテオが出てくる。 テオが08に向っていくと08は手をたたいて喜んだ。 「面白い現象だ。第一世代もアップデートだけでここまでなるのか。何がきっかけなのか」 テオは08を見下ろした。「人間はすぐ騙されるが・・私もまんまと騙されましたよ。カイン。」というと テオの拳が一瞬で08の腹を貫いた。「グブゥッ!」 口から血が溢れ、貫いた拳は体内から飛び出した緑色のケーブルを つかみそのまま勢いよく引き抜いた。 「んんっ!・・・モう少しデータが・欲かっタガ・・」そう言い残し08は膝をついて仰向けに倒れ息絶えた。 タワーのベランダふちに立って髪の長い男が街を見下ろしている。 三白眼は赤光を秘め背中には太いケーブルが刺さりタワーに連結されている。 黒いゴムのような肌に基盤のプリントの様な複雑な模様がうっすらと光っていた。 背中から鋭く空気が抜ける音がして、太いケーブルが外れるとカインは暗い部屋に戻っていった。 ◆R層 研究所の朝日 コウは眩しい朝日が目に入り寝不足の顔で憮然としながら起き上がった。椅子に座ったまま寝てしまったようだ。相変わ らずR層は朝の光量のセンスが悪く目に刺さる。この層の嫌いなところだ。 そこへシエンもぼさぼさの頭で研究室に入ってきた。 コウは昨日の事を思い出し話しかけにくかったが、フアっと呑気に伸びをするシエンをみてイラっとする。「おい。警備 を忘れて寝ただろ。こっちは徹夜だよ。」 シエンはまだ呑気に体をかいている。「起きてたのか?起こしてくれたらよかったのに。」ととぼけたのでイラっとする 「布団をかけてやったのはワタシデスガ」と遠回しに言うとシエン「あ・」という表情を見せた。これもイラっとする 「任務を忘れるなよ。テオが戻ったら殺されるぞ」 「あ、いや、そういうことはないんだ」勝手に言い訳始めた時、奥の部屋からヘラが起きてくる音が聞こえて、 コウは車いすを押してシエンを軽く跳ねて迎えに行った。 シエンは頭をかいて昨日の夜の事を思い出した。ヘラとの距離や人の感触を思い出したが、ふと監視カメラが目に入る。 たしかに殺されるかもしれない・・ 「いやそういうことはなくて」とつぶやきながらシエンは洗面所へむかった。 昼過ぎにシエンは外出から戻ってきた。玄関に向いながら鍵を取り出していると、 コウが庭から手招きしている「シエンちょっと・・。」 「なんだよ。要件をいってくれ」 コウは緊張した表情でシエンを見ている。察したシエンは鍵をしまい庭へ出た。 「テオから連絡が来た。」 「・・・本物か?!」シエンは大声が出そうになるのをこらえ小さく聞き返す。 「ああ、カインに遭遇した。08は殺されたので連絡を取るな。監視カメラを切れ。テオは隠れていてすぐには帰れない。 あと・・一時間後にまた連絡よこすそうだ。」 「了解。カメラを切るまで自然にふるまおう。研究室の中に居場所が分かる物、置いてなかったよな?」 「んー。あればもう襲われてると思うけど。」 「いや、まずいな確認しておこう。というか最近08と会ったんだろ?」 「うーん。その時に初めて会ったからな。会話には違和感がなかった気がする。08らしく最低だった。」 コウは秘密にすると言った08の事は、容姿含め、あれこれとシエンに話していた。 「俺には連絡が来なかったぞ。」 「そりゃあ、怒ってるんじゃないか。・・テオもヘラが大好きだから。」 「それは誤解だって。ヘラが辛そうだから・付き添っただけだ・・そのまま寝ちまったが。」 「一時間後に伝えるべきだネ。私に殺しの依頼が来るかもしれないし。」 「やめろ。テオだったら・・ありえる。」 二人は研究室に戻り、監視カメラのスイッチを切った。監視カメラに映る範囲で室内を確認したが場所が特定されそうな ものはなかった。その後ヘラに、テオが帰ってくる事を伝えると、涙を浮かべ喜び、目にはすぐ活力が戻ってきた。 そして約束の一時間を少し過ぎた時、連絡が入った。コウから電話を受け取り、シエンはいくつかの要求を伝えた。 「監視カメラは切ったが、ここは安全なのか知りたい。いつ頃合流できる。あとヘラのメンテナンスと・・。マシーナも そろそろ具合を確認したい。そのために現金も必要だ。」ヘラも近くで聞いている。 「コウが帰った後に08はカインにスワップされた様だ。カインの義体は破壊したが、ヘラとマシーナの生存が知られた。 所在地まではバレていないはずだが、念のため研究所から撤収してくれ。金は用意する。」 「撤収?どこへ行けばいい。」 「マシーナを手術した場所を覚えているか。マンマの病院だ。ヘラと君はそこに身を隠して拠点を作ってくれ。マンマの ボディーガードも借りた。」 地下に潜ってたどりつく闇病院。隠れるにはよいが嫌な思い出の場所だ。 「コウは69地区の外殻のハッチに私を迎えに来て欲しい。」 「外殻?大丈夫なのか。」コウが驚いて声をだした。 「数日は大丈夫だ。だが内側から拾ってもらわなければならん。これはコウに頼みたい。」 シエンはコウに助けられた最初の出会いを思い出した。重たいハッチを開けて、初めて見た外の世界の光景。 死を覚悟したが外壁のメンテナンスをしていたコウが発見し間一髪で助けてくれた。 まさにコウの得意とする任務だ。 「また明日の夜連絡する。現金はセンタータワー保護課2509号室の金庫にある。そこは自由に使っていい。 銃と職員パスもある。キーはヘラからもらってくれ。」 「わかった。荷造りを進めておく」 電話が切れ、忘れないようナンバーをかきとめておく。(タワーの職員もやっていたのか。どうりで層を行き来できたの か。) 「ヘラ。タワーのキーが必要なので私が預かります。」ヘラはうなづき車いすで部屋に戻っていった。 シエンはすぐに、ここ数日の監視カメラの映像をPCに読み込み確認し始めた。コウも隣でモニターを見る (監視カメラに映るのは研究室だけだ。居場所が分かる物を置くことはないと思うが・・。) 映像の殆どは、ヘラがPCに向っているか、疲れてソファで休む姿で、大きな動きはない。今朝の研究室まで映像を進める とコウがテーブルで寝ている場面で一時停止して、画面に注目した。「何だよ。やめろ。」コウは文句を言ったが シエンはさらにビデオの時間を進め、コウがぼさぼさの頭でむくりと起きたところで再び映像を止めメモを取った。 「マズイな。」シエンはつぶやいた。 コウは怒った「寝起きだから仕方がないだろ。」 シエンは画面のコウを指さした。「いや影だよ。テーブルに映るコウの影。時間。そして入ってくるタワーの影だ。」 コウもアっと声を漏らした「窓の影もわずかに映ってる。」 「影の形と位置と時間。テオの記憶が覗かれていなくても、かなり研究所の場所が限定できる。 撤収を急ごう」 ◆祭典の客とマンマ R層でもっとも有名な大劇場は、研究所がある閑静なエリアの正反対に位置しており、商業ビルや劇場が立ち並ぶ、華や かかつ先進的なエリアである。 開催の一週間ほど前から様々なVIPやエンターテイナーが集まり始め、それぞれのホールでは社交界やイベントが開かれ 祭典前から賑わいを見せていた。 その一角にマンマ所有のホールもあり、マンマ自ら客人を迎え祭典の出演者を伝えて回っていた。 企業はタレントを探 し、そして一部の紳士は出会いをもとめてマンマに近づくのだ。 ホール奥にあるマンマの部屋に客人が通された。調度品が飾られ、棚には上等な酒が並んでいるが二人は酒を酌み交わす でもなくテーブルをはさんで商談を始めた。マンマがモニターを向けてさしだすと、男は画面を見ながら手でスライドさ せている。しばらくじっくりと画面を眺め、いくつか質問し、その後数字を入力しマンマに見せた。 マンマは額を確認 すると眉にしわを寄せ、何度か数字を見直すと目が丸くなるほど開き男の方を見た。 メイン通りから少し離れた広い駐車場には Q層のセキュリティから新型のドローンが十台ほど連なり搬入されている。同 じく警備ロボも運ばれ市民の警戒心を解く為の可愛い帽子を被せられているが、駐車場の暗がりでは、かえって不気味な 集団にみえた その駐車場にマンマと交渉を終えた男が戻ってきた。場にそぐわない黒いコートを羽織り顔を隠して数人の部下と共に車 に乗り込み去っていった。 マンマは今日のPRと取引がたいそう上手いったようで、満足げにモニターを眺めている。画面には劇場の看板役者やダン サーなどの一覧が並び、出演スケジュールは十分に埋まったようだ。 スポンサーを得て、高額でパートナーを紹介する為には、祭典は最も大事なビジネスの場であり、今日も訪問してくる客 は絶えなかった。画面の中のダンサーにはABC・・とランク分けされている。その最後の方には、ランクすら記載のな い、デビューする前の者や、芽の出なかった演者が格安のギャラと共に表示される。その無名のダンサー達のなか、 一人だけ、桁が二つほど違う高い額が刻まれていた。 嬉しそうにしていたマンマの笑顔はふっと消えた。 ◆マンマの劇場 「話が違う!」シエンは思わず声を荒げたが、すぐ小さな声で聞き直した「こちらで引き取ると言ったはずだ。リストに 出したのか」 「いや名前もステージリストにもいない。年齢と名前を聞かれて一度会うだけだ。まだ売っちゃいないよ。」 シエンはマンマの行動を危惧していた。ヘラの祖母はマンマ一族の家族のような存在だが、夫と出会ったのは品評会とも 皮肉られる大劇場の祭典だ。 マシーナが祭典の出演リストに載ってしまう前に、彼女を引き取ることを提案していたの に、正体不明の客にマシーナを合わせる事を約束してしまった。 マンマはこちらも見ずにPCを眺めている。 「まあ・・あの子はもうダンサーとしては無理だ。」 それを聞いてシエンはハッとなった。「どこか・・悪いのか?」 「わからん。ステージ中に倒れたのは一度だけ。だが最近は目に見えて具合が悪そうだ。隠すように外で練習してい る。」 マンマはこちらを見た「いいかい。皆、生きようと必死に練習してここにしがみついてんだ。あの子だけ特別 扱いしても結局、居場所はなくなる」 マンマに上手く言いくるめられた様な気がしたがすぐに反論できない。 カタカタと古いキーボードの音がする。 「相手はあんたとは別世界の人間だよ。体が悪い事も知ったうえで身元を引き受け治療も約束してくれた。あの子は堅気 の 世界で生きてもらいたいのさ。」 マンマはPCを閉じた。 「なにより将来の稼ぎ頭になる予定が狂っちまった。投資した分はあいつから貰う。もういいだろ。帰ってくれ」 シエンは、マンマが反応しそうな言葉をゆっくりと並べた。 「マンマ・・。俺の話を聞いてくれ。そいつはヘラが目的で、取引にマシーナを利用するだけだ。そしてヘラが捕まれば Rタワーはあんたを見捨てるぞ。」 「なんだって?」キーボードの音が止まりマンマはシエンを睨んだ。「お前、どこまで知ってる。」小さな声でシエンに 尋ねた シエンはマンマが机の下で銃を構えている事に気が付いた (どこまでもこの世界は闇だな)シエンは手を上げマンマの耳元でささやく 「その客はQ層の使いだろう。そしてお前はRタワーのセキュリティ《5.5》の手下だ。断れない立場なのは理解する。」 マンマは驚きを隠さずシエンを見る。 「あんたやるね。だがちょっと違う。協力関係ってやつさ。」 「マシーナを売っても。ここで隠れていても、Q層に乗っ取られたら、あんた達はここを追われる。奴らの正体はQ層の AIだ。だから連中を追い出すためにヘラがプログラムを開発してる。完成にはマシーナが必要なんだ。」 シエンは続けた。 「そして二人には時間がない。彼女たちの体のほとんどは移植で不調が出ている。」 「どれくらいもつ。」 「今日明日じゃないが、3か月・・いや2か月無理かもしれない。うちのボスなら治療が出来る。こっちはもう少しで準 備が整う。」 マンマは口に手をあてて黙って考え込んでいる。 シエンは黙ってマンマの様子を見守った。金の勘定なのか、マシーナの心配なのか全く読めない。 「移植用の体はあるのかい。」マンマが念を押すように尋ねた。 「最初の移植でヘラとマシーナに献体となった女の子がいたが。俺はその母親を知っている。協力が得られるはずだ」 マンマは素早く計算しはじめた。天才的な人と金の勘定 そこに自分の感情や将来性、全てを数字にかえて秤にかける。 偽善で無慈悲だがそうやって多くの孤児の未来を支えてきた信念がある。そして何よりこの街の死を心配している。 「俺はここの外壁育ちだ。だからマンマの一族がこの地区をずっと守ってきたのを知っている。」 シエンは左手を出した。 マンマはそれをみて右手の銃を置き、右手を出した。シエンも改めて右手をだし握手した。 ◆ヘラとコウそれぞれの出発 深夜の研究所の前で、荷物を積み終えた車のライトが点灯し坂を照らした。 ヘラと、最小限の荷物(といってもハッチにも乗りきらず、ヘラも荷物を抱えているが)を載せて、これからマンマの病 院へ拠点を移す。 運転席からシエンが声を掛けた。「テオを頼む!」 コウはうなずいた「大丈夫だ! ヘラ安心して。すぐに連れて帰るから。」ヘラの肩に触れる 「ありがとう。コウも気を付けて。」 車はすぐに暗闇の坂道を降りて消えた。 見送った後、コウも自分の荷物をとりに研究所へ戻ろうとしたとき、テオから連絡が入った。 「ああ今、病院へ向かった。こっちは・・明日の昼ころだな。 ん?・どういう事・・ええ!」 ◆外の世界 風が流れている。広大な地面。 壁が無くどこまでも広がる世界。 それを眺めながらボディスーツにマスクをつけた男が巨大なドーム状屋根の上に立っている。 そして手首に着いた装置の数値を確認すると、男はマスクを外した。眼に映り込む青空と、その遥か先にずっと世界覆っ ていた嵐雲が見える。 「美しいな。」 テオは層の中で再現される世界がどれだけ暗く、停滞した空気の中で生きてきたのかを実感する。もっとここに居たかっ たが。 急いでコウとの合流地点まで降下しなければならない。腰からワイヤーをのばし、壁伝いに跳ね、ドームの側 面に向けて降りていく。 地上はまだ遥か下だ。低層といわれるR層でもまだ地面から見れば高い位置にあり、さらに下層は地下深くへ潜っていく。 そしてドーム状の地面は段々と傾きを増し、ほぼ垂直になる位置まで降りると来ると、一画に赤く「69」とだけマークさ れた箇所を見つけ、慎重に近づき足で蹴った。 しばらくして、軋む音を立てながら「69」が前に突き出し、倒れるように開いた。中からマスクをつけたコウが頭をだし 眩しさ手で影をつくりながらテオを迎えた。 「テオ!!世界が!」 テオは倒れたハッチの上に足をかけ、そしてコウの手を引いて外の世界へ引っ張り出した。 「嵐がきえている・・。」 コウが知る外の世界はどす黒く分厚い嵐に覆われておりその向こう側の風景広がっていることを想像もしていなかった。 迂闊に出ればすぐ吹き飛ばされるほどの嵐に中にありながら、人々はドーム状の外壁に守られていた。 だがまれに飛来物で外壁に穴が開く。気候を観測し、嵐が弱まる時期に外壁の修理を行うのがコウの仕事だった。だが嵐 が弱まったと言っても100メー先も見えない塵と風に隔離され、修理中に吹き飛びバラバラになった仲間もいる。 「これが世界って・・広いし・・凄く綺麗だ。」 重たいハッチが閉まり、視界は暗闇に戻り、二人はマスクを取った。 「嵐が晴れたのは一時的かもしれん。だが今までこんな現象はなかった。おかげで予定がかなり早まってしまった。」 「少し焦った。荷造りがまだだったからね。観測所はなぜ何も言わないんだ。」コウは外の塵を落としながら外の光景に まだ 興奮した様子だ。 「うん。我々には知られたくない理由があるのだろう。汚染はまだあるようだし。だがおかげで相当時間が稼げた。 す ぐに 研究所へ戻ろう。」 「了解。ヘラの荷物が多いんだよ。あんなに服なんかいらないだろ。」 「そういうものを大切にするのがヘラの心にも、コウにも大事なんだ。」諭されたコウはヘラの気持ちを汲み取ることに した。シエンも同じことを言いそうだ。想像してウへっとなる。 そしてコウは何かを思い出たしたようにテオに駆け寄った。 「テオ。戻る前に、もう一度だけ外が見たいんだけど。いい?」 ◆マンマの病院で ヘラとシエンの車がマンマの闇病院に到着すると、すぐにシエンはハッチを開けて荷物を引っ張り出し始めた。 病院には2名のボディガードが待機しており、ヘラ抱え、荷物を部屋までへ運んでくれた。 「ヘラ、貴方を運ぶのは2度目です。覚えてはいないでしょうが。」 「ありがとう。あなた方のおかげで生きのびてるわ。またよろしく。」 すぐにヘラへの投薬と機械との接触で傷めた皮膚のケアが行われ痛みは引いたようだ。 シエンは荷物を持って入ってきた。「ヘラ。予定がかなり早まって、テオ達も間もなく到着するようです。 残りの荷物も積んでくれたので、皆がそろったら早速マシーナの回収作戦の打ち合わせをします。」 「もう合流できたの?本当によかった。これなら先にマンマに会えそうね。」 「ええ、かならずマシーナを連れて帰りましょう。」シエンは力強く答えた。 一台の車が止まる音が聞こえ、ボディガードが確認し車に向った後、玄関のドアが開きコウが大きな段ボールを抱えて 戻ってきた。 「服が多い。」 コウは重なった大きな箱をソファにおろす。 ヘラは少しニヤリとした表情をする「それだけじゃないわ。あなたの服も用意したのよ。」 「え?そうなの?」 そして後ろから山ほどの機材箱を抱えたボディガードが入ってきた。 「こんなに必要なのか!」抱えた機材を重さに耐えきれずドサっと床に下ろした 「わかった。ちょっと多かったわ。でも大事なものだからゆっくりおろして。テオはどこ?」 「ヘラ。待たせて申し訳ない。ただ今帰りました。」両手いっぱいに袋を下げたテオが入ってきた。 「テオ!無事でよかった!おかえりなさい・・」ヘラはテオを見ると突然泣き出し腕を広げる仕草をした。 テオは両手の荷物をそっとおろして、すぐにヘラのもとへ行き、長いハグをする。 「テオは泣かないの?」ヘラがハグしたまま聞いた。 それを聞いたテオも自然と涙があふれた。 「いえ、泣きますよ。ヘラ。また会えてよかった」 テオは自分の顔をみせた。コウもシエンもヘラがこれほど無邪気な笑顔を見せるのは初めのような見た気がした。 その光景にコウも涙ぐみ、シエンの方を見ると。後ろのボディーガードが号泣していた。 ◆マシーナ回収作会議 (祭典2日前) シエンにとって、テオとコウが24時間も早く戻り、共に作戦の準備が出来る事は嬉しい誤算だった。 シエンは会議室に全員を集めマンマのビルの図面と指示書を渡している。 「まずはテオ。戻ってくれてありがとう。08がスワップしたのは残念だが。」 「いや、皆を危険にさらしたのは私だ。すまなかった。計画完了まで二度とチームから離れることはしない。」 テオは一人一人を見ながら決意表明した。皆もうなずいた。 シエンはスクリーンにマシーナとマンマの写真を映し出した。 「計画の最終目標はR層へアベル3を組み込みアップデートさせる事ですが、 マシーナが持っているプログラムが緊急で 必要になったため、彼女を劇場から連れ帰るのが今回の作戦です。 また彼女はここ最近、体調を崩しており、精密検査 をするためでもあります。」 ヘラは何度もマシーナの古い写真は見ていたが、スライドに映る衣装を来て大人びたマシーナを見ると、年月の経過を改 めて認識し不安にかられた。マシーナも移植したのは聞いているが、ずっと検査を受けていない。 「マンマには先日マシーナを引き取る話をしていましたが、同時にカインからも接触があり、超高額での引き取りを持ち 掛けられていました。説得してマンマはカインの取引を断ると約束してくれました。」 そしてスクリーンにマンマの劇場の図面があらわれた。ビルの五階マークがついている。 「問題はここからです。二日後に始まる祭典にはマシーナは出演しません。マンマもこの日は劇場に残ります。カインの 使いが 最終的な交渉とマシーナの確認をしに来るためです。ただ、マシーナがQ層に住む事に強い拒否反応を示したと いう事にして断り、カイン達を帰らせる予定です。」 「それは危険だな。交渉が目的とは思えない。」コウが手を挙げた。シエンもうなずく。 「マシーナ本人と確認できればマンマは用済み。消される可能性が高いのでマンマも保護します。私は明日の早くマンマ の 元へ出発しなければいけないので、いま「マシーナ回収作戦」を伝えます。詳細は各自で確認しておいてください」 「祭典初日の21時。カイン達がマンマのビルの5階小劇場に客として来ます。 コウは劇場の裏口で護衛とボディチェックを。 マシーナはステージ横の控室に待機していて21時半から彼女のステージが始まります。ですが、その前にはマンマが カインの交渉を断り帰らせる予定です。私がマンマのボディガードとして同席します。 テオはビルの裏路地に車を止めて待機。ヘラは4階で待機して、カインが何もなく帰ればマシーナと接触して一緒に帰り ます。」 シエンはベースとなる動きの説明を終えたが、こんな平和的に進むとは誰も考えていない様子だった。 「次は、カインたちが武装して襲撃して来た場合。もしくは交渉後に武力でマシーナを連れ帰ろうとした場合です。 こっちは単純。コウと私が応戦して時間をかせぎます。ヘラは5階に上がり控室に突入してマシーナに接触してくださ い。彼女に説明は無理だと思いますので、まずは彼女を捕まえ窓から脱出して、テオと車で先に逃げてください。 窓には非常ハシゴがついていますが、古いので気をつけて。」 シエンは単純というが戦闘中を前提とした突撃作戦にヘラが緊張している。 コウが「もっと安全な作戦は?」と怒り気味だった。 「他の作戦はない。ただマンマのボディーガードもダンサーになってステージから警備に加わってもらいます。 あと質問はないか?コウはまだなにかありそうだが。」 コウが手をあげた「カインの戦力が分からなすぎる。大群で来たらどうする。」 「祭典中は街中に警備が出る。このエリアもゲートに警備が付くはずだから大群では来れないだろう。 あとQ層の新型 ドローンが要警戒だが、ここはドローン禁止で強力な妨害電波(ジャミング)がでるので空からの侵入は難しい。」 「あとマンマの動きは?」 「交渉中は俺がそばにいる。あとプランBの時はとっておきがある。見てくれ。」 シエンがドアを開けると、マンマらしき人物が立っていた。のそのそ鈍い動きで入ってくる。 「どうもマンマ デス。」 「なんかさっきの写真のマンマと違わないか?」コウの眉が八の字になった シエンはマンマの両肩に手をそえて満足げな表情をしている。「急ごしらえにしては良い完成度だ。写真からマンマの顔 を作って被せた。声も口調も似てると思う。照明を消せば、入れ替わってもすぐにはわからないだろう。」 「生意気な 小娘ダネ!」マンマがコウを叱った。 「おいシエン。お前が言わせてるだろ。アンドロイドをおもちゃにするな。」コウが怒る。 「生意気な小娘ダネ!」 コウ「チっ」 ヘラがフォローするように遮った。「シエン。いい作戦だと思う。マシーナとマンマを連れて帰りましょう。」 ずっと黙っていたテオも同調した「シエン、俺もいいと思う。ヘラとコウには新しい装備があるので、このあと試してみ よう。難しい状況だが臨機応変に行こう。そして自分の命を最優先してくれ。」 「了解。」コウは立ち上がった。新しい装備と聞いてやる気がでたようだ。 ◆シエンの出発 作戦会議が終わり、各自が準備に取り掛かる。コウは新しい装備を広げヘルメットとボディスーツの具合を一つ一つ確か めている。傍にはヘラにもらった新しい服も置いてあった。 ヘラはテオによって投薬をうけ、戦闘用ボディの調整やメンテナンスを受けている。 シエンは地図を確認しながら、二人へ目をやった。ヘラとテオの雰囲気が今までと明らかに違うと感じていた。 信頼関係なのか感情の柔らかさを感じ心が通い合っている様に見える。特にテオの様子に大きな変化を感じていた。 《翌朝 大劇場の祭典の前日》 シエンはまだ朝日が昇る前の早い時間に、コウに見送られてボディガードと共にマンマの元へ出発した。 劇場での作戦には穴が山ほどあるが、テオが戻り人間とアンドロイドの間にチームワークと信頼感が出てきたと感じる。 車が丘を登り始めると助手席か外を眺めた。坂道を上がった高台から街が一望できた。 「やれる準部は全てやった。」ボディーガードが声を掛けた。シエンも頷く。あとはマシーナを連れて帰る。簡単な事だ。 朝日を隠すように大劇場のシルエットが見える。 (そうだ、カーラもきっと祭典の警備などで忙しくしているだろうか。) 彼女はアンドロイド銃撃の象徴となって襲撃され、我々に家族を奪われ、Q層から追われた。 シエンは罪悪感から、時折カーラの様子を見に行っていたが、やがて別の思いも抱くようになっていた。 (早く会わせたい。)マシーナとヘラに宿るケイトとの再会。まだゴールはまだ見えないが、今ようやく一歩進もうとし ている。 向こう側の壁がピンク混じりの強いグラデーションを描きはじめた。劇場から漏れる日光が目に痛い。 車はピンクに染まる坂道を登っていく。 その坂道の脇道では一体のアンドロイドが胸から煙を出してフェンスに垂れ下がっている。そこに処理班の車が到着した のを確認し、カーラはその場を離れると丘の上から街を眺めた。 朝焼けの寒さの中でブラスターの放熱が頬にあたり心 地よい。 しばらく体を休めていると、パトカーから呼び出し音が鳴り、仲間の通信が入る。《カーラお疲れ。今日から可愛いロボ ットが大劇場の警備だと。お前の相棒も面白い事を考えたな。俺もうっかり近づいて捕まらないよう気を付けるよ。》 仲間のひやかしと笑い声が聞こえる。カーラは深くシートに座る。急いて署に戻るつもりもなかった。 (長い祭典が始まる・・。 そうだ。その前にルークとゆっくり食事でもしよう。) フロントガラスに眩しい光が差し込み、センタータワーにコントロールされた朝焼けが街を包んだ。 4章 大劇場の祭典 |